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死ぬ思い

2015年の〆となる新潟は長岡での3泊4日の研修会。

予期していた以上の“成果”で帰阪した。

研修の内容などは、また後日お話するとして・・・・

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伊丹空港から新潟行きの飛行機は
蚊トンボに扇風機を取り付けたようなもの。

DSC00563p.jpg


そして飛行中は通常のゴ~と言う勇壮な音ではなく

“プゥ~ン”言った銀蝿が発するような音。


「新潟空港へ着陸態勢に入ります」のアナウンスとともに

蚊トンボは厚い雲の中に突入する。


その瞬間。


左翼にオレンジ色の大きな閃光と共に“ドッカ~ン”という轟音。

機体はグラっと揺れ、機内は一瞬パニック状態。

左翼の直ぐ側にいて、まともに閃光を見た私は

「あっ、もうアカン!」と般若心経を唱える。


目の前に座った客室乗務員は笑顔を作っているつもりなのだろうが

泣き顔で固まったまま、そして機内は異様な静寂が続く。


ありすぎる“間”の後、のんびりとした声で機長のアナウンス。

「み・な・さ~ん。いま、機体に落雷があったようです。
しか~し、飛行には支障はありませんので~ご心配な~く。」

大きな飛行機での落雷は、今まで何度も経験したけれど
こんなにひどいのは初めての経験。

その傷んだ心を

新潟のスタッフは、連日美味しい久保田や〆張鶴のお酒

それに

新鮮な“のどぐろ”や甘鯛で優しく癒やしてくれたこと、感謝 感謝。


気まぐれコンピュータ

HPのウインドウズ8の不具合にたまりかね

パソコンも変え

OSもウインドウズ7に戻した。


時代と逆流するような事なのだが
作業はストレスなくスイスイと、すごく調子が良い。

一日のうち8時間も一緒にいるコンピュータが
思うように動かない!と言う事は

一緒に生活している妻が
病気がちのようなものである。

しかし、新しいのに変えてホッとした。


いやコンピュータのことである。

さてさて話が変わるが・・・・

最新の人工知能を備え
走るスーパーコンピュータと言われる
東京は山手線の新型車両E235系。

営業初日に3度もトラブルを起こし

あえなく運転中止だと。

柳田や山田が達成したトリプルスリーとは大違いの

“トラブルスリー”である。


今年のシメ

今年も色々と各地でセミナーを行ってきたのだが

最後のシメとして

またあの雪深い新潟は“長岡”で

計8時間のロングセミナーを行う。

ギャラは“安く”準備に時間がかかるのだけど・・・

それらを統括する、テニスの“神様“小浦武志さん
それを主催する公益財団法人 長岡市スポーツ協会の方々

そしてそれに参加される100人を超えるスポーツ指導者の熱心さが
私の心を動かすのである。

今年のテーマは昨年“さわり”をやった
五感の鋭敏化、感性を磨く、創造性を豊かに

という3つのメンタル基本要素をやる予定。

創造力を自分のものに.jpg

どうすれば

この3つを自分のものとする事が出来るのか?の実践編である。

指導者たちの反応は? スタッフの反応は?・・・

興味シンシンなのだが

用意していただいているらしい、のどぐろ、お蕎麦

それに美味しい日本酒にも興味シンシン。


医者の「こんなもんだろう」

はっきりと原因の分かる病。

例えば、布団を蹴飛ばして寝た為、風邪を引いたとか、
傷んだ食べ物を食ってお腹をこわしたとか・・・

こんな場合、対処は簡単、○○医者でもOK。

しかし原因の解りにくい病になった時

医者は“感”を頼りに「こんなもんだろう」と
治療や投薬を行う事になる。

しかし私は3回行って“改善”が見られなかった場合
さっさとその医者は諦める。

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例えば、ボールをある一点に当てようと投げた場合を考えてほしい。

「こんなもんだろう」と第一球目を投げたら、左に逸れた。

第二球目は“右に!”と意識しながらと投げたら、今度は少し右に。

しかし三球目は、雑念なく一点集中の「こんなもんだろう」だから
たいがいの人は目標に当たる。

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同じ医者に、三回行っても症状に改善が見られないというのは


意識集中して患者に対応していないか

またまた、医者としての能力に欠けるのかの

どちらかだと思うのだがどうだろう。


しかし治らなくても、医者はそれでも儲かっている。

そう、医者は私達と違って“成功報酬”ではないのだから。

それと客にボロカス言って儲かる商売は“医者”だけ。

「ん? 高岸くん、怒っている?」

そう、えらく怒っている!


柿の木のメンタル

今年も深~い“秋”の季節に・・・

毎年、秋の行事といえば“干し柿”を作ること。

しかし実家の大きな富有柿の木は、大変な気まぐれ者。

機嫌が良かった一昨年はまあまあの収穫50個、

何故か“へそ”を曲げた昨年はたった5個。

しか~し今年は大変機嫌が良く、70個もブラ下げての大収穫。

柿の木のメンタルとはどうなっているのか、いくら考えても解らない。


そこに、友人から“干し柿にどうぞ”と頂いた柿が30個
計100個もの「干し柿製作」である。

今年のバルコニーのブランコは

70個の干し柿、一個250グラムとして
常時17.5キログラムもの重さに、当分の間耐えなければならない。

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さて、このブランコも家に来て、早25年
人間の年齢で考えると100歳を超える・・・・・?


やらなければならない事を”やる!”

人が何かを“やる”と言う時の心情として

① やりたいから“やる”のと

② やらなければならないから“やる”の2種類がある。


前者は感情が主導的に“やりたい”と感じるのだから
頑張らなくても無意識のうちに脳と体は動き出す。

問題なのは後者
「やらなければならない事をやる。」である。

では、どうすればスンナリ始める事が出来るのだろう。

話が飛ぶが“未来を考える”のは人間のみという。

犬や猫は現在を生きる事に専念し、未来の事にはあまり関心がないらしい。

そう言えば、犬が老後のためにコツコツ貯金している、とは聞いたことがない。

(最近人間界にも“犬猫思考”が増えているのだが・・・)

“やらなければならない事”の大半は、
今やったからと言って即、結果が表れるのではない。

未来における成果の為である。

今即、結果が出ないものに対して、
どうモチベーションを高めれば良いのだろう。

それには、“未来の為に何故今、やらなければならないのかと言う”
リアルシミュレーションをし、その楽しさを思い浮かべなければ
“やる気”は起きてこない。


“やる気が起きないが、
今やっておけば近未来にこんなに楽しい事がある”と考える事。

やらなければならない事に対し「知性」をまず納得させ、
そして一番大事な「感情」も喜ばせる事が“やる気”を誘い出すのである。


感性は変わる?

私は14歳の春以来、散髪屋さん

いわゆる“美容院”には行っていない。

そう、中学2年から、
髪の手入れは工作用のハサミと三面鏡を使い自分でやっている。

理由は色々あるのだが。

まず、他人さまに上半身
特に“頭”や“顔”を触られるのが苦手なのでる。

難儀なことに自己散髪をする時
何故か酔っ払ってハサミを持つことが多い。

酔っているから気が大きくなり、思い切ってバッサバッサとやる。

その時はなかなかの出来栄えだとだと思い
自分の“感性”に敬意を表しながら

もう一杯やってからお風呂に入って寝てしまう・・・

しかし次の朝、三面鏡で良~く観察すると

あちこちに大きなハゲチョロケ、小さなハゲチョロケ。


結果、妻の嘲笑を背に、夏なのに深く帽子を被り出勤となる。

知人たちは初めのうち

「一応、一級建築士事務所の所長なのだから、それは~ちょっと・・・」と
警告を発し続けていたのだが、

最近は私の髪型が爆撃を受けた状態であっても何も言わない。

懲りないオッサンだと思っているのだろう。

さてさて昨夜、
しこたま呑んでからハサミを持ってしまった。

今日は午後から大事な打ち合わせがある。


へこたれない精神

さてさて長い間お休みをいただいてしまった

その理由は?

公募展に出す作品作りに一点集中していたのである。

 

ズボラ者の私には

年に数回、手に汗を握るような経験をしないと心も体も萎えてしまう。 

身の丈知らず、猪突猛進の私は、今までも色々困難な物に挑戦してきた。

その度に多大なる挫折感を味わうのだが

なんせ私は”へこたれない”

学習能力が無いというか

何故か「苦しかった事」はすぐに忘れてしまう。

いわゆる鬱病などとは何ら関係ないオプチミストなのだろう。

人には大きく分けて

楽しかった事はすぐに忘れ、苦しかった事をしつこく記憶にとどめる人と

(このタイプ、私の知り合いでも結構多い)

また悪かったことはすぐに忘れ、楽しかった事を大事に記憶にとどめる人がいる。

(このタイプ、私の知り合いでは滅多にいない)

 

しかし殺伐としたこの世界で

心身共に健康で過ごそうと考えるなら

絶対に後者でなければならない・・・と考えるのだがどうだろう? 


メンタル絵画の効用

甲子園が終わった。

ことしの甲子園は
強豪と言われた四国、近畿勢は早々と姿を消し
関東以北、それも東北勢が強かった感じがする。

特にピンチでの、
またチャンスでのメンタルの強さを感じられるチームが多かったようである。

もともと東北勢は体格が良い、
そのうえメンタルトレーニングにも力を入れてきたのだから
もう地域格差が無くなり、これからもますます面白くなるだろう。


さてさて私はどんどん絵を描いている。

見た状況を、思った状況をそのまま描くのではなく
そこに、何か感じられる絵を描こうと奮戦。

テーマはリラックス、集中、そして創造。
少し紹介してみよう。

太陽-4  F6.jpg
ドイツでのスケッチから
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静寂の山
森-木立 (1).jpg
太陽-3 F4.JPG
一日の終わりに何を考える?
(絵をクリックすると大きくなります)

いい加減な話

あの設計者もデザインも気味の悪い新国立競技場。

その設計やり直しが昨日決定したという。

私に取っては、当然だろう!と考える話なのだが・・・


さてさてその理由は?

国民の強い意見を反映させた結果なのか。
はたまた訳の分からない元アスリートの涙のせいなのか。


もし国民感情の反映だけであるなら
“ポピュリズム”であり“大衆迎合”
ギリシャ政府と変わらない恥ずかしい問題である。

国民の代表である政府が
世界に対してこれでやる!と決めたのであれば
費用や国民の意見がどうであれ、やらなければならない。

それと同時に、将来のメンテナンス費用の財源捻出など
結果の責任も政府がとらなければならない。

政府とは、国民の意見はどうであれ
国の将来を見据え、国民から総スカンを食らっても
良い方へと導く決断しなければならない。

近年の日本、政府も国民も
その体をなしていないように考えるのは私だけだろうか。

hiromu-8.jpg


さて、私の場合

家族にとって重要な事を考えなくてはならないとき
当然、家長である私の意見は尊重される。

しかし結果は妻の意見によって決定される。

hiromu-.jpg


沢田さんが亡くなって早一年

私の大の親友だった沢田鉄郎さんが亡くなって早一年。

彼が亡くなったであろうと推測される6月23日。

京都は深草にある深草墓園に行ってきた。

一年前と同じように、駅近くのスーパーで
彼の好きだった焼酎を買い、暑くて急な坂道を登る。

墓園は深い緑に囲まれ、桃源郷のような雰囲気。

しかしあいにく墓園周りの公園は工事中で、騒音の中でのお祈りとなる。

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さてさて、人が亡くなって一年も経つと
仲間内でもなかなか話題にのぼって来なくなる。

寂しい話だが、それはそうかもしれない。

いつまでも脳裏に居座られると日常生活に支障をきたすからだろう・・・


私が亡くなった場合もそうなるのだろう。

なにか強烈なインパクトを与えるようなものを残しておかなければ
簡単に忘れられてしまう。

だから私は、本を一杯残す、気味の悪い“絵”をたくさん描いて残す。

そしてドジや失敗など“汚点”を一杯残す・・・・・

それでも3年は持つまい。


日本の美しさ、いかに。

先日、大手住宅販売会社の営業部研修で
四国は高松に行ってきた。

岡山まで新幹線、そして岡山からはマリンライナーで高松に入る。

いつも感動するのだが、瀬戸大橋から眺める内海の美しさ・・・・

こんな絶景が日本にあるのかと何度も感動する。

なのに、他の乗客は慣れっこになっているのか
スマホをいじっている、本や新聞を読んでいる、そして寝ている人。

首を前後、左右、上下に振りまくっているのは私だけ。

セミナーの翌日、金毘羅さんに行こうと思ったのだが
「1600段以上も登らなければならないのですよ!」と脅され
仕方なしに高松港の船着場でボ~と一時間半ほど過ごす。

この港から見える景色が、また絶景かな・・・

右手には平家の滅亡の始まりである屋島が見え
正面には小豆島、その左には島全体が美術館と化した直島が。

前夜のセミナーで、
ではなく、呑み屋めぐりで疲れ切った心身を癒してくれたようである。


さて今回は、今までと全く違う内容のセミナー。

次回はこのセミナーに関してお話してみたい。


楽しみを見つける

ブログすこしの間、ご無沙汰してしまった。

その理由は?

絵の楽しさを今頃になって再認識したのか
平日の夜も、土日の朝から夜まで
家に新しく作った粗末なアトリエに閉じこもり、せっせせっせと作品作り。

この一か月ほどで出来上がった絵は30枚。

私の悪い癖でもあるのだが
一度思いついたらトコトンやらなければ気が済まない。

ジャンルにこだわらず色々なものを描く。
画材も、油、水彩、製図用インク、クレパス、クレヨン、カラーインク・・・

そして絵はウソが描けるからまた楽し。

写真ではそのまま現実が写ってしまうのだが

「絵」は色も形も・・・配置さえ自由自在、思うがまま。

だからこの世に存在しない不思議なものが出来上がる。

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紫の森
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嫌がる馬
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ミラノの凱旋門
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メンタルの七福神 → 平常神、集中神、克己神、安定神、楽天神、対話神、空想神
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刑務所内の武勇伝
絵をクリックすると大きくなります。


空想、空想、空想。

またまた、大変なウソつきになってしまったようである。


指導者の気づき

許可を得て、少し長いが
新潟県野球連盟少年部部長、石川智雄氏とメールでのやり取り・・・・・・

●印は石川さん ★印は高岸 として

●質問というか高岸さんのお考えを聞きたくて
メールしました。お暇ができましたらお返事ください。

12月以来、RCTを心がけ物事にあたっています。
 私にはリラックスが難しく、リラックスを意識しようとする事の難しさを感じています。
 
★そうですね、リラックスは「集中」へのアイドリング
リラックスが出来ないと、大事な場面で集中どころか感情のコントロールさえ出来ないですよね。
 
●様々な場面で子供達(生徒)と接していると、例えば車に乗っている場面でも、
鮮やかな景色を見つけて感動の声を発する子供と無関心な子供、気付けない?
感じる力の弱い子・・・。
 その差は、プレースタイルやプレー内容と比例関係にあるように思えます。
なるほどなあ~と、改めて「感性」に問いかける事を心がけようと思っています。
 
★人間関係における、また自然における事象に対して、
自分の「感性」(視覚を例にとると、ただ見るだけでなく、そこに自分の感情を入れて見る)
をはっきりと表現できる子(A)、また感じてはいるのだけれど、それを表現と言う手段を
持たない子(B)、全く感じることが出来ない子(C)、等に分かれると思います。
 
Aのタイプの子供には”見守る”事を主にして、
過度の感情表現の場合には”助言”という手段を用いると良いですよね。
当然の事、その表現力は直にプレースタイルにも現れると思います。
 
Bのタイプの子供には感じた事を”表現できない”という何らかの理由があると思われます。
ですからその問題を明確にさせてやる事と共に
感情表現が現れた時にはオーバーアクション気味に”褒めてやる”事ですね。
 
Cタイプの子供(数は少ない)には、なかなか難しいですが
例えば美しいものと醜いもの等、正反対なものをみせ
反応を根気よく見ながら誘導し、まずは一般的なレベルになる事を期待します。
 
大人は「知性と理性」と言うことが、表現の幅を狭くしてしまうのですが
子供はその感じたことを今、言って良いのか悪いのかなど「理性」などは
お構いなしに表現します。

 ですから子供の感性こそ尊いのです。
その感性を大事に育ててやる事(方向性の修正は助言でもって)が創造性へと
つながり、将来今までにない全く新しい世界への登壇となっていくと思うのです。
 
●質問をひとつ!メンタルと技術の関係です。
指導者がよく「メンタル」を逃げ口上に使用しているのではないかと思っています。
 
★メンタルとは本来 1+1=2 と言うようなものではありません。
結果は誰も予測できないわけですから
自分の指導力不足を煙に巻く”逃げ口上”にはもってこいでしょうね。
 
●技術を上げればメンタル(自信)もあがる。
 自信をもって試合に臨めば、精神的な弱さが原因でミスしたりという場面も減る。
と考えたりします。
 メンタルに原因がある場合もあるとは思いますが、
多くの場合(特に小中学生期)は技術的な未熟や経験不足からの不安や緊張ではないか。
 
的確に技術力をアップする手法や工夫を持てない指導者が、
「あいつもはメンタルが・・・」と選手のせいにしている傾向が強いと・・・
 両側面をバランスよくとらえられる指導者を増やすことが大切だと考えます。
 
★技術力があればメンタルも強くなる!それも正解でしょうが
目標(メンタル要素)を持たずして、技術力向上は考えられません。
また体力向上も目標を持たずしては考えられないと言う事も事実です。
 
メンタルはリラックス、集中、目標、感情コントロール、肯定思考、
コミュニケーション、シミュレーションと
あらゆる部分で必要性と言う”顔”を出します。

一言で「メンタル」と言っても、いろいろな「メンタル」があります。
 
技術力アップのためのメンタル、その技術力を自信もって出すためのメンタル。
その自信をもった技術力、体力がバラバラになったときのメンタル・・・・・・
 
さてさて指導者に関しては・・・・・・・・
 
私が幼稚園の親たちにいつも言っていること
「子供の幸せを考えるなら、まず両親が幸せになっていないとならない」
 
自分自身がメンタルの事を理解していないのに、選手にメンタルの重要性を説く指導者。

先にも言ったことがあると思うのですが
そのような指導者の一言は、助言ではなく”暴言”に過ぎなくなります。
それは選手が聞きたい事ではなく、指導者が言いたい事のみだからです。
 
おっしゃる通り、各方面でバランス良い指導者が求められます。
 指導者や教師とは、心技体での全ての頂点を求められる大変な仕事だと思います。
 
またお会いする機会がありましたら、詳しくお話してみたいと思います。

●私自身、「知性の理性」をよい意味に感じていたように思います。
職業柄もあったかもしれませんが、疑われない常識の範囲において正直に柔軟に
考えていきたいと思います。でないと魅力がなくなりそうな感じがしました。

 細かいメンタル、分野別のメンタル・・・みんな同じだと考えていました・・・
なるほどです。ありがとうございました。

★次回お会いするときには、”のど黒”と新潟の美味しいお酒、期待しております。


辛さを忘れるには

景色は抜群
そして谷川のせせらぎと季節の鳥のさえずり・・・と
環境は良いのだけれど・・・・

駅から160段もある階段を登らなければ家に着かない。
ビルにしたら10階分に相当する。

何においても「表と裏」の原理が働くのは自然の摂理。

さて「内的集中」・・・・・
いわゆる筋肉活動に意識を向けると
この階段、到底一気に登り切れるものではない。

だから「外的集中」・・・・
目的を内にではなく、外に向けて登る事を心がけている。

夏場だと

家に帰ると冷たいビールと冷たいシャワーが待っている・・・・

冬場だと

鍋と熱燗、そしてお風呂が両手を開け笑顔て待っている・・・

と、勝手な結果をリアルにイメージしながら登る。
そうすると疲れを感じることなくあっと言う間に家に着く。

しか~し

この三月の終わりから、四月の終わりまでは
そんなちっぽけな細工はいらない。

160階段の初めから、その終わりまで
下記のようなトンネルが出来上がるから。

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リンパ線でなく”琳派”

最近あちこちで“琳派“と言う言葉を聞く。

料理でも、フアッションでも“琳派的な”と使う。

もともと“琳派”(りんぱ)とは
身体のリンパ腺のリンパではなく絵画の世界の流派のこと。

桃山時代後期に興り近代まで活躍した造形芸術上の流派。

本阿弥光悦と俵屋宗達が創始し、尾形光琳・乾山兄弟によって発展、
酒井抱一・鈴木其一が江戸に定着させたという。

して、今年は400年を記してあちこちで展覧会が行われている。

その中でも琳派を代表する作品の一つ
俵屋宗達が描いた「風神雷神」を見る。

桜が満開の京都は“建仁寺”の本坊。

中に入ると、すぐ正面にその2曲1双の作品が現れる。
本物は傷みが激しく、展示されているのは
デジタル処理された複製品なのだが迫力は満点。

この風神雷神、尾形光琳も、酒井抱一も模写しているのだが
やはり俵屋さんのものが一番グッと感性に響く。

時間が許せば是非一見していただきたい。

以下最上段は俵屋宗達、次は尾形光琳、最下部は酒井抱一

俵屋 尾形 酒井 風神雷神.jpg

                   画像をクリックすると拡大


ジビエに集まる人たち

20年間続いていた “ イノシシ会 ” が終了した。

イノシシ会とは、関西大手スーパーの元社長が
岐阜の山中で獲ってくるイノシシと鹿を気の合った仲間達と食べるという会。


当初は10名くらいで始まったのだが30名という大所帯に。

こんなに長く続いているのだから
当然のごとく、亡くなってしまった人たちも結構多い。

中でも元TVS敏腕プロデューサーで
その後、吉本興業の関東社長をやっておられた横澤彪さんを思い出す。


彼が現役バリバリの頃、彼の誘いで東京で二人で一杯やったのだが、その時の話。


「高岸さん、吉本に来ない? 俺は“売る自信“があるんだけどさ。」

「そんなご冗談を・・・・・・」

と、その場は納めたのだが、彼は結構本気だったようである。


嬉しいような・・・また迷惑のようなお話だった。


さてさて、もし彼の誘いに乗って
吉本の芸人になっていたら、今頃どうなっていたのだろうか。

間寛平? 池乃めだか? アホの坂田?

それとも彼らにアゴで使いまくられる“お付き”止まり?

大阪は猥雑な今里新地の料亭で行われた“イノシシ会”最終回は

大雨の中、東京などから集まった人たちで大賑わいだった。


山中教授と50センチ

先週は忙しかった。

神戸で長時間のセミナーもあったし、メンタルデッサン教室もあった。

そして京都での重要なミーティングもあったし、

呑み過ぎも3回ほどあった。


心身ともクタクタ状態の金曜日はいつもより早く帰宅することになる。


近鉄は石切駅を降りて、登りの坂と階段が続く。

この道、夜になると人通りは全くなくなり、街灯もまばらに。


疲れた身体を引きずるように登っていると

家の近くの街灯の下

坂を下りてくる一組の夫婦らしき人とばったりと会う。


はて、この人どこかで見たことがある。


一瞬、脳は鋭利に回転を始め、素早く結論を出す。

その人はなんとあのノーベル賞を受賞した山中伸弥教授ではないか。

その距離は一瞬覗き込んでしまったせいか50センチ、見間違いはない。


すれ違った後も私は棒立ちのまま、眼で後を追う。


私の疲れた心身は、熱湯に浸けられたカエルのようにシャキッと・・・


私は映画俳優とかアイドル、そして歌手にはな~んにも興味は無い。

しかし山中教授は別格だろう。

プラトンやアリストテレス

いやいや、レオナルド、ダ、ヴィンチと突然田舎道で出会った感覚である。


すると山中教授は5mほど先で、一軒の家に消える。


さてさて、その家は山中教授の実家で

高齢のお母さんが一人住まわれているという。


「こいつぁ~春から縁起がいいやねぇ~」


ヌードデッサンには興味は無い?

義理の母の忌も明け、全てが通常の生活に戻ったよう。

そしてながらく書いていなかったブログも再開しようかと。


さて、唐突だがこの大阪では、街中が大変な状態になっている。


長堀筋、谷町筋界隈では

大型観光バスが2重3重の違法駐車で渋滞が・・

心斎橋筋の大型薬局では

10か所ほどあるレジの内、9か所が免税レジに・・

地下鉄の切符売場は長蛇の列に・・

街を歩いていると、
日本語はまばらで前からも、後ろからも中国語の“爆雑音”

新聞を見ているとなんと関西の商品総売り上げの10%以上は

中国からの観光客の“爆買”だとか。


いやいや有り難いお話である。

しかし・・いくらお金は回るものだといっても

中国人観光客が長蛇の列をなす“商品”は限られている。

薬、化粧品、炊飯器、目薬、洗浄便器・・・・

そこには私が生業としている建築設計やデザイン

そしてデッサン教室やメンタルトレーニングはない。


ある日私の事務所を中国人が訪れ

「あのう・・5つほど家を建てたいのですが設計お願いできますでしょうか?」

「あのう・・メンタルトレーニングを習いたのですが、先生!100人でお願いします」

「あのう・・日本人のモデルでヌードデッサンをやりたいのですが、席はあるでしょうか?」

てな話は来ないものだろうか。

そんな話が来れば、“違法駐車”も“爆雑音”もOKなのだが・・・・


大往生を遂げる

新年早々3日に妻の母が亡くなった。

96歳の大往生である。


最近、病院は死因を「多臓器不全」とか「心不全」とかをつけたがるのだが

死亡診断書はなんと単純に“老衰”とある。

“死に方”として、これ以上に幸せなことはない。


そして亡き母の良き人柄を偲ばせるのか

仮通夜、通夜、本葬とたくさんの方々が参列した。


そこには号涙あり、そして大笑いあり・・・・・


人の“死”にはいろいろなものがある。

若くして亡くなられた人のお葬式には、涙あっても笑いはない。

その重苦しさは何年もの間“心”大半を占める。


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人気のある“芝居”の演出には

主人公の苦しみ、悲しみの表現から始まり

最後には観客を大笑いの中に引きずり込んで幕が降りる。

見終わった観客は何かスキッとした気分で劇場をあとにする。

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泣く事と笑う事は一対のものであり、

心のモヤモヤを除去する唯一の起承転結である。

これらは日常生活での精神的健康には必要な要素。


本葬が終わった後

参加者全員まるで最高の“芝居”見た後のように“笑顔”で散会していった。


新年早々気持ちが真っ新になった感覚。

ありがとうお母さん・・・・・

これまた“大往生”のおかげかな。


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